プリスリーズ賞
特別功労賞 高英男
1918年 樺太(サハリン)生まれ。
1951年 フランス・パリに留学。ソルボンヌ大学に学ぶ。
1952年 帰国。フランスから持ち帰った「枯葉」「愛の讃歌」「ロマンス」「詩人の魂」などを日本人で初めて披露する。
1953年 キングレコードから「枯葉/ロマンス」でレコードデビュー。 同年、不朽の名作「雪の降る街を」を吹き込む。
1961年 パリ大手プロダクションと8年間の長期契約を結び、1年のうち10ヶ月はフランス、2ヶ月は日本で仕事をするというスケジュールで、日仏両国で精力的に活動する。パリでは、ラジオのレギュラー番組を持ったほか、シャイヨー宮殿のガラコンサートや、有名劇場、欧州各地のステージ、テレビ番組に出演。
1974年から帝国劇場で5年連続でリサイタルを行う。日本劇場では、1981年の閉館まで30年間トップゲストとして出演。
1982年 ポピュラー歌手として初めて国立劇場でのリサイタルを開催。
1996年 歌手生活60周年記念リサイタルを開催。
2009年5月4日逝去。
1989年 紫綬褒章受賞
1992年 フランス芸術文化勲章シュバリエ章受章
1995年 勲四等旭日小授章受賞
特別功労賞 深緑夏代
1935年 宝塚音楽学校へ入団。
1936年 初舞台。
1944年 宝塚在籍中、毎日音楽コンクール歌曲の部(現在日本音楽コンクール)で優勝該当者なしの2位に入賞。文部大臣賞を受賞する。
1946年 宝塚歌劇団で「カルメン」で初主演。
1947年 越路吹雪と初めてコンビを組み、以後名コンビとして1951年に越路吹雪が退団するまで多数の作品に主演。
1949年 関西オペラ戦後第一回公演「カルメン」にカルメン役で出演。
1952年 宝塚歌劇団「シャンソン・ド・パリ」にて「枯葉」「愛の讃歌」などのシャンソンを歌い、 シャンソンブームの火付け役となる。
1955年 宝塚を退団。東宝株式会社と契約。ラジオ東京テレビ(現在のTBSテレビ)の専属となる。
1957年 東京・ヤマハホールで初のリサイタルを開催。
1966年 宝塚歌劇団の講師に就任。1977年3月まで12年間勤める。
1979年 大阪と東京でシャンソンコレクションを主催。PART1~PART9まで続ける。
1980年 深緑夏代シャンソン教室を大阪と東京ではじめる。以降各地にクラスを持ち、指導を続けた。
1986年 この年から、東京(日比谷公会堂〜ヤクルトホール)と大阪(サンケイホール)でシャンソンフェスティバルを主催。
1990年 「ヤマトタケル」に出演。
2009年8月31日逝去。
1992年 文化庁芸術祭賞受賞
1994年 勲四等瑞宝章授章
特別功労賞 石井好子
1942年 東京音楽学校(現・東京芸術大学)声楽専科卒業。ドイツリートに専念。
1945年 ジャズ歌手に転向。
1952年 フランスに渡り、パリでデビュー。シャンソン歌手としてパリを中心にヨーロッパ各地の舞台に出演。
1954年 帰国後シャンソン歌手として活躍。フランス、アメリカ等の舞台出演も1958年まで続けた。
1961年 石井音楽事務所を設立。以後、岸洋子、田代美代子、加藤登紀子等を育てる。 また、アルフレッド・ハウゼ、シャルル・トレネ、エンリコ・マシアス、イベット・ジロー、バルバラ等を招聘。
1963年 第1回「パリ祭」を開催。
1988年 パリのオランピア劇場にてシャルル・デュモンと共演。
1990年 パリデビュー40周年記念リサイタルをオランピア劇場にて開催。
1991年 日本シャンソン協会設立。会長に就任。
1999年 歌手生活55周年と喜寿を祝って「石井好子ラッキー77コンサート」をメルパルクホールにて開催。
2005年 歌手生活60周年記念リサイタルをメルパルクホールにて開催。
2009年 NHKホールで行われた第47回「パリ祭」に出演。挨拶だけの最後の舞台となる。
2010年7月17日逝去。
1971年 フランス芸術文化勲章オフィシエ、受章
1987年 紫綬褒章受章
1990年 第32回日本レコード大賞特別賞を受賞
1992年 フランス芸術文化勲章コマンドール、受章
1994年 勲四等宝冠章受章
2008年 第50回日本レコード大賞功労賞を受賞
2010年 第52回日本レコード大賞特別功労賞を受賞